FC2ブログ

「デザイン」について

もう2013年も残りわずかになりました。今年1年、このブログに目を通していただいた方々に厚く御礼申し上げます。
その最後の締めとして今回は「デザイン」について想うところを書いてみました。



        金沢の秋



 あなたは「デザイン」という言葉を聞いた時、どういうイメージを持ちますか?
 例えばものの形とか色、そしてそれらの組み合わせといったものを挙げるかも知れませんが、太古の昔のことを考えてみると私たちの祖先は生きてゆくために様々な必要具や道具類を考えて創り上げ、それを利用して生活してきたはずです。
 それらは例えば住居であり、器であり、狩りの道具であり、絵画であり、そして衣服もその一つだったでしょう。こうした行為は明らかに「デザイン」行為であったと言えると思います。

 時を経て近代社会になって「プロダクト・デザイン」という言葉が使われ始めました。プロダクト・デザインの意味についてはそれほど確立化はされていないように感じますが、「(私たちの生活に役立つ)‘もの’や‘こと’をデザインすること」と一般には言われています。

 これら2つの「デザイン」、太古のものと近代のものとでは基礎は同一です。新たに何かを創り出すという点でです。違って来ているのは一般的に言って、太古のデザインは主に自ら作り、自ら使用するであり、近代のそれは自ら作っても使用するのは他人、しかも多くの場合不特定多数という違いが生じてきました。「社会の分業化」ということになるのでしょうか。
 しかしながら基礎の部分となる「自ら創るデザイン」は揺らぐことはないはずなのですが、現代になって進行してきたのは「ものづくりの分業化」です。

 例えばあなたが陶器を造る人だったとしたら、太古でも近代でもあなたは陶器の形や色具合や柄、使用する土、そして作り方などを自分で考えて自分でものづくりをしているでしょうが、使う人は太古では自分だし、近代では他人ということです。それが現代では、形はAさん、色はBさん、土選びはCさん・・という具合になって来てしまっています。 その理由は主として「量というものが多くのハードルを解消する」という思考によるものでしょう。現代では(会社)経営学が「ものづくり」の上位思想になっている状況のため、ものづくりの理屈が通じにくくなって来てしまいました。そしてそうした時代が長く続くことにより、別に上位理論だとも考えていない人までが、経営の理屈をこねまわす姿も散見され、それは滑稽としか思えません。

 考えてみてください。例えば自ら写真を撮影しない写真家っていますか?自ら粘土をこねない陶芸家っていますか?自ら包丁を持たない料理人は?自ら建築材料に触れようとしない建築家は?そして自ら生地素材を触らずに商品を説明するアパレルデザイナーは?

 結論ですが、私がこのブログを通じてお話ししている内容は「ブラジャーをプロダクト・デザインすること」なのです。つまり使用者は不特定多数の他人の場合が多いということですが、あくまでも基礎としての「ものづくりはあなた自身がすべて行う」という事です。
 ものづくりをすべて行うということは、形も色も素材選びもパターンもソーイングも自分で行うという事です。そしてそれこそが「デザインすること」なのです。

 そんな面倒なことは出来ない、本当に出来るの?という方々もおられるかも知れません。でも「デザイン」が本当に好きな人はそんな考え方はしないはずです。自分で全部できるなんて嬉しい!と思うはずです。「デザイン(ものづくり)」は基本的に分業すべきことではありません。
 幸いブラジャーなどアパレル分野のものづくりはそれほど大層な設備や資金がなくともものづくりが可能な有難い分野です。

さあ、皆さん! 来年も一緒に「ブラジャー・デザイン」の旅に出発しましょう!


2014年もよろしくお願いいたします。良いお年をお迎えください。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント